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もっと、ゆっくりいまをいきる


 「スロー・イス・ビューティフル ~遅さとしての文化~」(辻信一)

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この本に出会ったのは確かもう11年程前のこと。

当時の私は、新しい職場でてんてこ舞いに残業を続けながら、飛ぶように過ぎる時間のただなかにいた。

そんなときにふと、休日に立ち寄った本屋さんでこの本が目に飛び込んできたのでした。

作者の辻信一さん同様、文化人類学を専攻してタイやラオス、ミャンマー、インドなど東南アジアの国々に

赴く中でまさしく「スロー・イズ・ビューティフル」を体感していた自分にとっては、その時に身を置いていた世界よりも、ずっと親しく感じられる世界観だったので、あっという間に立ち読みで最後まで読み通し、購入してまた、近くのカフェで熱いお茶を飲みながら読み返したことを思い出します。

大好きで、何冊も詩集をもっている長田弘さんの詩に出会ったのも、この本がきっかけでした。

 

「急いではいけない

ぬかみそを漬けるとわかる

毎日がゆっくりとちがって見える

手がはっきりとみえる」

(長田弘「ぬかみそのつけかた」より/ 辻信一「スロー・イズ・ビューティフル」p34)  長田さんの詩は、なんというか生活の本質みたいなものをやさしい言葉で伝えてくれるところが好きです。

ぬかみそを漬ける、という行為はまさしく時間を感じるということだと思うのです。

ぬかが野菜に浸透していってぬかみそが出来上がるまでの「時間」も一緒に、私たちは食卓で味わっている、と思うから。

だからこそ、ぬかみそとゆっくりと向き合うと、時の流れが見えてきて、毎日がゆっくりとちがって見える、のだと思います。思えば料理ってみんなそう。

時間と、作る人の想いともスパイスになっているから、丁寧に作られたお料理には人を元気にする力がある。

時間は、いのちそのものだから。

 

 

テイク・タイム

「『共に生きること』もまた、『留まるもの』たちのアートであり、知恵だ。動けば動くほど『共に生きること』はますます難しくなるもの。『共に生きること』を人生の本質的な価値と考える者は、もう一度『留まること』を学びなおす必要があるだろう。あるいは少なくとももっとゆっくりと『動くこと』を。

『留まること』には時間がかかる。『共に生きること』にはもっと時間がかかる。

ジョージア・オキーフが言うように、小さな花を見るのには時間がかかるのだ。そう、友達をつくるのに、時間がかかるように。

ここで言う『時間がかかる』は、英語のテイク・タイム。しかし、同じテイク・タイムでも『テイク・ユア・タイム』といえば、『まあ、自分ペースでゆっくりやれよ』という意味にもなる。そもそも人生とは時間がかかるもの、そして時間をかけるもの。

じっくりと、ゆっくりと、のんびりと。あなた自身のペースで。テイク・タイム』。

(辻信一「スロー・イズ・ビューティフル」p111)

 

忙しい日々の中を、なんとなく空虚に思っていた当時、このこ言葉が本当に深く深く響いたものでした。

そう、本当は、忙しさの中で流されるように仕事をするのではなくて。もっと丁寧に時間をかけて、贈り物を届けるように、自分の仕事の先にいる人たちに大切なものを届けたい、そう、思いました。

そう思ったら、スピードと効率ばかりを優先されるその職場で自分が何を苦しく思っていたのかがわかって、ふと肩の荷が下りたような、そんな気持ちになったことを、今でもよく覚えています。

 

そうそう、人生とは時間がかかるもの。そして時間をかけるもの。

誰かと、何かとともに生きるのは時に面倒だったりもするけれど。 でも、やっぱり時間をかけて分かちあって。だんだんと関係性ができていくのって幸せなこと。

たとえば、息子が生まれて夫と片方づつ縫い上げたファーストシューズ。

くつ

あっという間にサイズアウトしてその靴を履いた時間はとても短かったけれど。でも、履けたかどうかよりも大切なのは、夫と二人で、息子の最初の一歩を楽しいにしながら縫ったあの時間のあたたかさがいまでも自分のこころを穏やかに温めてくれていること。

時間や手間暇をかけたものは、自分の中に種のように根付いて。いつか、何かもっと大切なものをはぐくんでくれるような、そんな気がするのです。時間って、不思議なものですね。

 

ゆたかな「時」

「時間もこれに似て本来地域ごとに異なり、多様であったはずだ。人々は地域独自の生活サイクルを持ち、定期市や祭礼や儀式などによって隈どられ彩られた時間を生きた。そこには地域生態系の成員だけが持つ、季節の感覚、潮の満ち引きのリズム、花鳥風月の織りなす時の流れがあっただろう。

ベンガル湾アンダマン諸島の森にすむ人々には「香りのカレンダー」があって、花々や木々の匂いによって時を表したのだそうだ。北米のナヴァホ民族の神話によると、この世の最初の人間が砂の上に図を描いてカレンダーを作ったのだという。これによると、季節は大きく夏と冬に分けられ、各月は特徴的な出来事によって区別され名づけられていた。

例えば現在我々が使っている太陽暦の11月にあたるのは「すらっと痩せた風の月」、1月は「凍った雪の面(おも)の月」、4月は「柔らかく繊細な葉の月」。そして、それぞれの月には、それを特徴づける「こころ」があり、さらに吉兆を示す「やわらかな羽」なるものがあるとされた。たとえば「凍った雪の面の月」の「こころ」は氷、「やわらかな羽」は明けの明星。「大きな葉の月」の「心」は風、「やわらかな羽」は雨だ。

(中略)

アイヌ民族の刺繍家チカップ美恵子が毎年自作のカレンダーを送ってくれる。写真は北海道の自然の風景の中に、彼女が丹精込めてつくったアイヌ文様の刺繍を置いて撮ったもの。このカレンダーの楽しみは各月を表すアイヌ語とそれについての解説がついているところだ。

1月のク・エカイ・チュプということばに込められた意味は「(寒気甚だ強く)仕掛けた弓さえ折れくだける月」。同様に2月「(激流は凍結しないものだが)この月ばかりは激流も凍結する」。8月は「(長い越冬準備に)女も子どもも大わらわに働く月」。時がこれだけの意味を孕んでいる。そして、こんなにゆたかな時が言葉の中に織り込まれて人から人へ、世代から世代でと伝えられていく)。

(辻信一「スロー・イズ・ビューティフル」p145)

 

かつての日本には色を表すゆたかな言葉があって。

「浅葱色」とか「薄墨色」とか、その言葉の美しさが私はとても好きです。同じように、イヌイットやアイヌなどの先住民の文化の中には雪や雨を表現する言葉が何種類もあって。それだけ自然に添いながら日々を生きる暮らしがあるんだなぁと、その感性のゆたかさにほれぼれしてしまいます。

「時」もそう。

私たちの社会はいつの間にか時を刻むものとして「単位」でしか見なくなってしまったけれど。

本当は時間は「いのち」そのもので、もっともっと豊かな顔を持っていると思うのです。だから、アンダマン諸島の人々やアイヌの人のカレンダーは本当に素敵だなと思います。

その月を表す言葉を聞いただけで、生活が生き生きとあぶりだされてくるから。そんな風に表現してもらえる「時」は本当に生き生きとして幸せだと、思います。

そいえばBIGINの曲の中にも「時は流れているものを 刻むからこそ無理もでる♪」というフレーズ、ありましたよね。

時には、時計を外してしまって。

ぼんやりと月の出を眺めてみたり。海辺でただただ波音に耳を澄ませたり。時の流れを体で感じて。自分の中に自分と自然のときの流れを取り戻す時間が、いまの私たちには必要なのかもしれません。

い

 

辻信一さんが、カナダに留学中にある方に紹介してもらったという、長田弘さんの「ふろふきの食べ方」という詩が、あとがきの中で紹介されています。

 

「そうして深い鍋に放りこむ。

底に夢を敷いておいて、

冷たい水をかぶるぐらいに差して、

弱火でことこと煮込んでゆく。

自分の一日をやわらかに

静かに熱く煮込んでゆくんだ。

 

こころさむい時代だからなぁ。

自分の手で、自分の一日をふろふきにして

熱く香ばしくして食べたいんだ。

熱い器でゆず味噌で

ふうふういって 」 (辻信一「スロー・イズ・ビューティフル」p260)

私も、この詩のあたたかなぬくもりが大好きです。

自分の手で自分の一日を熱く香ばしく。

そのために、ゆっくりことことと時間をかけること。

 

そういえば江國香織さんがむかし、何かの本でRelishということばの話をしていました。Relishは「味わう」とかそういう意味の言葉ですが、味わうということばで表すのは食べ物と人生の二つだ、と。

そう、食べることも、生きることも同じこと。

だからこそ、そのどちらも丁寧に。たっぷりとお時間をかけて、味わいたい。

ゆたかな時間は、味わいをきっと深く滋味豊かなものにしてくれる。そう。思います。

だから、楽しんで、テイク・タイム。


水野 佳

ヨガとくらしのサロン LINGKARANG(リンカラン)主催 水野 佳 自然や季節を感じる暮らしを提案。親子で自然にふれる「森の親子ピクニック」や、味噌や醤油の仕込みWS、お寺でのヨガクラスなどをのんびり開催中。わんぱく2歳児の母。